【"売れる仕組み作り"のプロフェッショナル】HR業界のパラダイムシフトを牽引した20代 功力昌治氏(前編)

知見・スキル
2017年03月02日

リーマンショック後、企業の採用予算が軒並み減少していく中で「超低額の成果報酬型サービス」を打ち出し、HR業界にパラダイムシフトをもたらしたリブセンス。功力昌治(くぬぎ・まさはる)氏は、その中心で「ジョブセンスリンク」(正社員採用サービス)などを市場に浸透させた経歴を持つ、マーケティングと事業企画の専門家です。


X-bookでも多数のベンチャー・スタートアップの相談に応え、プロダクトができたばかりの段階での事業企画・マーケティング支援から、IPO後を見据えたマーケティング戦略や体制の立案、エンジニアとの協働によるマーケティングシステム構築を提案。その高い専門性の背景にあるキャリアや、今後のマーケティング活動全般に求められるポイントについてお話を伺いました。前編では、独立に至るまでのビジネスパーソンとしての歩みを語っていただきます。


「プロとして金を集める」NPO法人での体験が刺激に

Q:社会人としてのキャリアのスタートさせるきっかけはNPO法人だったそうですね。


功力昌治氏(以下、功力氏):

はい。大学時代に1年休学して、NPO法人でのインターンに参加したんです。それが2004年頃ですね。当時、アメリカではすでにNPOへの就職が一般的になっていましたが、日本は違いました。価値のある活動をしているはずなのに、事業としてスケールさせているところは少ないという現実もあったんだと思います。「NPOとは何なのか? なぜ日本のNPOはスケールしないのか?」を、実際にその中に飛び込んで研究してみたいという思いもありました。


今につながる「思いを持った起業家を応援したい」という考えを持つようになったのはその頃から。世の中には、価値があるはずなのに大きく広がってない事業がたくさんある。それを、事業企画やマーケティングを通して支援するというのが、私の活動の根幹にある考えです。


Q:日本のNPOの場合は、なぜ事業が広がりにくいのでしょうか?

功力氏:

当時のNPOは「清く正しく」という考えが活動の根っこにあって、悪く言えば"やり方"を自ら制約してしまい資金を集めることができず、じり貧になっているところが多かったように思います。私がインターンとして参加したのは海外で難民支援などを大々的に展開し「NPO界の成長ベンチャー」と呼ばれていた法人で、博報堂出身者や朝日新聞出身者など有力なビジネスパーソンを迎え入れ、「寄付を原資にして、プロとして成果を出し、より大きな寄付を得る」というモデルを作っていました。


周辺からは賛否両論あったと思います。既存のNPOからは「ビジネスライク過ぎる」とも言われていた。でも私自身は、信念を持って活動しているところに惹かれたんです。「アマチュア脱却」を掲げ、プロとしてお金を集めて実のある支援を実行していました。


「セールスよりマーケティングをやろう」

Q:NPOでのインターン経験は、功力さんのキャリア観にどのような影響を与えましたか?


功力氏:

本当は私も海外での支援活動に参加したかったのですが、何の経験もスキルもないインターンの立場では、東京の事務所でバックオフィス業務をお手伝いするしかありませんでした。「想いだけではダメだ。力を身につけたい」と思うようになっていきましたね。


就職活動では、「ベンチャーでいちばんきつそうで、社長の近くで仕事できるところ」を探しました。それで、とある人材ビジネスのベンチャーへ入社。自分自身のことを「引っ込み思案だし、決めるまではうだうだしてしまう」タイプだと思っていたので、ハードマネジメントで鍛えてもらえる環境をあえて求めました。


Q:自分を動かすために、あえて厳しい環境の中に飛び込んだのですね。


功力氏:

まさにそんな感じです。入社後は、若造ながらにベンチャーの経営者へダイレクトに営業し、右腕候補となるような大手企業の部長クラス人材を紹介していました。


若手のミッションは主にクライアント企業の新規開拓で、それまではテレアポで接点をつかみに行くのが普通でした。しかし、ただでさえ忙しいベンチャー経営者のアポを取り付けるのは容易ではありません。それで「どうやったら自動で問い合わせが来るか」を考え始めたんです。それが私のマーケティング・キャリアの原点ですね。


売れる営業マンには、何かしらの突破力があるものです。人に強いとか、周囲を惹き付けるオーラをまとっているとか......。自分はそうではないと気付きました(笑)。突破したり、ごり押ししたりするのは苦手なので、「セールスではなくマーケティングをやろう」と企んだんです。そこで、他のメンバーと一緒になって、ベンチャー経営者に特化し、職種をキーワードにしたランディングページをたくさん作りました。当時としては珍しい、オウンドメディアのようなものでした。そこから実際に集客を進めていったんですよ。


Q:他にも、独自で工夫していたことはありますか?


功力氏:

ベンチャーキャピタルの開拓ですね。ベンチャー経営者と日々会っていて、投資先をグロースさせるための人材が欲しいというニーズもあるベンチャーキャピタルの特徴に気づきました。まさに自分が価値提供できるターゲットでした。


しかし、ベンチャーキャピタルの担当者が簡単に、新卒の若者に会ってくれるはずがありません。そこで、登録人材のブラインドレジュメを自身のオリジナル資料としてまとめ、届けました。先ほどもお話したように「自分の魅力で勝負する」のは無理があるし、明日以降の成果に継続的につながっていくものではないんですよね。


当時の経験は、今に生かされています。コンサル先の若手が自信をなくしていたら、「仕組みを作ろう」とともに考え、モチベートするようにしています。


採用手法の新たな選択肢を提示した「ジョブセンスリンク」

Q:リブセンスへ入社するきっかけはどこにあったのでしょう?


功力氏:

リーマンショックが起きて、ベンチャー系の幹部人材ニーズが急減したんです。私が所属していた会社は、経営不振が続いて活動がほぼ停止してしまいました。当時はまだ26歳。大企業や安定した中小企業、あるいはメガベンチャーに行く道も考えましたが、改めて自分のやりたいことを考え、「やっぱりベンチャー経営者のお手伝いがしたい」と思ったんです。


そんなときに、ヘッドハンター経由で紹介してもらい、リブセンスの村上さん(村上太一社長)と会いました。その頃のリブセンスはまだ「成果報酬型の新しいモデルを立ち上げた面白い会社がある」とHR業界で騒がれていた程度で、従業員も10人いるかいないかといったところでした。


そんな会社が、正社員の採用成功報酬12万円、アルバイトなら1万2000円という驚きのサービスを展開していました。人材業界にいた人間にとっては、衝撃的なパラダイムシフトでしたね。「なぜこんなことが実現できているんですか?」と村上さんに聞いたところ、「エンジニアを内製化したり広告に頼らないマーケティングの仕組みを作ったりしていて、大幅なコストダウンができているからです」と。その頃の私は、ウェブといってもGメールとmixiぐらいしか使わないようなレベルでしたが、リブセンスのビジネスモデルに一気に興味を持つようになっていきました。


Q:入社後は正社員採用の「ジョブセンスリンク」を手掛けていたと伺いました。


功力氏:

当時の「ジョブセンスリンク」担当チームは、メンバー3人だけ。採用ニーズが冷え込み、既存の求人広告大手はどんどん売上を落としている時期でしたが、自分の原体験とも照らし合わせて考えると、スタートアップやベンチャーフェーズの経営者に絶対に受け入れられるサービスだと感じていました。


採用手法といえばハローワークか縁故。お金を払うなら掛け捨ての求人広告か高額な人材紹介。そんな手段しかない時代で、「無料手段と有料サービスの間のコスト差が広過ぎる」「掛け捨てか高額の成功報酬のジレンマがある」とひしひしと感じていたんですよね。このギャップをインフラレベルで埋めることには大きなインパクトがあると感じていました。


ジョブセンスリンクをどうやって企業に認知してもらい、申し込み数を増やすか。そのために最初は営業活動もやってみましたが、すぐに「これは無理だ」と気付きました。求人広告なら、営業が商談して申込書をもらった時点で、数十万円〜数百万円の売上が立ちます。しかしジョブセンスリンクは、申し込みをもらった時点では換金化できない。だから人の力もかけられない。新しいマーケティング戦略が必要でした。


年下の村上社長から受けた大きな刺激

Q:具体的には、どのような施策を実行していたのですか?


功力氏:

訪問営業をやめて、パソコンの前から離れずに企業に営業する仕組みを作りました。世の中にある求人情報をクロールしたり、使えそうなDBやAPIを活用したりする仕組みを社内のエンジニアに作ってもらい、メールやFAXでサービス案内を送るという営業をしたんです。


社内にエンジニアがいたため、アナログな企業ではできないような施策をどんどん試せたことは大きかったですね。「どうすれば向こうが喜んで問い合わせをしてくれるか」を考え、競合サイトとのあからさまな比較をランディングページで提示したこともありました。顧客がどんな情報に興味を持つか、喜ぶか。それを突き詰めて考えるというマーケティングの原理原則を徹底したんです。


マーケティングがうまくいかないときは、そもそもの商品企画はどうなのか? に立ち戻って考えました。メディアサービスの企業なので、まずはエンジニアがいいものを作ることが大切。営業に頼らずとも申し込まれ利益を生み、よりたくさんの優秀なエンジニアを採用し、さらに商品をブラッシュアップし、結果的に良いサービスが良い評判を呼び、さらに顧客を増やしていく......。そんな好循環が生まれていきました。


当時、我慢して価値のある商品を作るまで頑張っていたんですよ。村上さんにそうした信念があったから、それが会社の風土にも反映されていました。価値のある商品をよりリーズナブルに提供するために、マーケティングを徹底的に磨いていました。村上さんが音頭をとってメーリングリストを社内で作り、マネージャークラス皆が参加し、他社のマーケティング事例やビジネスモデルを貪欲に学んで共有していましたね。


私は2011年のIPO当時も在籍していましたが、村上さんは25歳という若さで、淡々と自制して変わることなく続けていました。派手なことはせず、相も変わらずマーケティングを磨いていた。「年下だけど、この人は本当にすごいな」と惚れ直しました(笑)。その姿を見て大きな刺激を受け、「変なプライドを持たずに、ビジョンを実現するために頑張ろう」と素直に思うようになりましたね。


取材・記事作成:多田 慎介


(功力昌治氏 プロフィール)
1983年、山梨県生まれ。学生時代よりボランティア活動に携わり、NPO法人でのインターンを経験。人材紹介会社でベンチャー経営者を中心とした採用支援に従事した後、株式会社リブセンス入社。事業開発担当として、正社員採用サービス「ジョブセンスリンク」の市場浸透に貢献する。現在は独立し、ネットマーケティングを中心に経営・戦略・セールスなど幅広い分野でコンサルティングを展開している。


ビジネスノマドジャーナル編集部
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